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マンガ論の最前線
 10月30日、池袋ジュンク堂へ、トークセッション「マンガ論の最前線」(夏目房之介、宮本大人)を聞きに行ってきました。

 少しだけ感想を書いてみます。
 でもあまりメモを取れなかったのでトークの内容については大雑把です。
 ごめんなさい。

 会場は4階カフェで、定員40名は一週間前には予約満席でした。
 挨拶を交し合うお客さん達を見てると、半分ぐらいは関係者・出版業界人なんじゃないかといった趣きを感じました。

 前宣伝によれば、
『ここ数年、マンガの多様化・成熟化にともない、マンガ論の水準や質が、大きく変わりつつある。マンガ読みの達人・夏目房之介氏と、新しい世代のマンガ研究者・宮本大人氏が、混沌としたマンガを語るための新しい枠組みを探る!』
ということでした。

 全体的なトークの流れとしては、夏目さんの新刊2冊について読み込んできた宮本さんが、マンガ史研究者としての立場から、今回の2冊の成果について解説・評価し、それに対して夏目さんは宮本さんの読みに応答して、著者としての考えたことや手ごたえを述べてゆく、という感じでした。
 宮本さんはアカデミックな視点から、不正確な点については厳しいツッコミを入れていましたが、そういった点は概ね夏目さん自身も感じていたことのようで素直に受け入れていたみたいです。

 夏目さんのしゃべりはBSマンガ夜話でおなじみですが、宮本さんのしゃべりは関西のイントネーションによる標準語で柔らかな物腰でありながら、明晰な語り口で話し出したらとまらないといった印象です。
 全体の3分の2以上は宮本さんが話していたように思います。
 そんな両氏の掛け合いは息が合っていて、マンガ論というちょっと生硬な話題ながらもきちんと会場の笑いをとっていました。

 そしてそんなトークの総体として現在のマンガ論の水準や質を示したかった、ということでした。

 具体的内容に触れていないのでこれではさっぱりですね。
 正直に言って、内容については夏目さんの新刊2冊を読んでない人にはちょっと説明しにくいです。宮本さんを知らない人も訳がわからないと思います。
 そのあたり興味がある人は自分で調べてみてください。
 あと僕自身が2冊ともきちんと読み込めたわけではないので…。

 以上を踏まえてほんのちょっと内容に触れてみたいと思います。

 うまくまとまらないので箇条書きです。
 ちょっと間違ってる部分があるかも。

宮本
・最初に『マンガの深読み、大人読み』(以下『大人読み』)は面白い、『マンガ学の挑戦』(以下『挑戦』)は凄いと思った。

・『挑戦』はそこから考えられるテーマが一杯でてくる。自分で考えはじめるきっかけになる本。1年かけてゼミで読むと面白い本。
・一気に読める勢いがある本だけど2回、3回読むとアレ?と引っかかる部分が出てくる。雑なところがある。
・大学講師として学部生が書いたら「君マンガ論やりなよ」と言うが、修士だったら「君学問向いてないよ」と言うような本。(会場・笑)
・表現論は猫の髭を一本一本調べるような方法だが、『挑戦』は猫からはぐーっと離れて上空からマンガ批評全体の地図を描くようなもの。文体もいままでと違う。
・『挑戦』の内容を延長しても、いままでの表現論の方法論は導き出せない。
・学問的にみると論理が飛躍している部分が結構ある。特に夏目さんの『テクスト論』の用法はよくある誤解で、一番危なっかしい。文系院生はそこで勝ち誇ったような気分になっちゃう。(会場・笑)
(ここでバルトの『作者の死』とテクスト論の解説が長かった)
・『挑戦』には『マンガは誰のものか?』というテーマが一貫してあるのは、夏目さんの『もう少し先にいきたい』という気持ちから。
・212ページの基本モデル「送り手→作品→受け手」だと、作者が一人で社会に対峙しているように読めてしまう。作者も社会の中の一構成員であって、かつては受け手だった存在。作品の制作には先行例に基づく類型が用いられたりする。逆向きのベクトルを欠いている。
・表現論は作者論の見方で、この本では夏目さんは7:3から6:4で作者寄り。読者側の受容論は十分でない。特に80年代以降の状況について。

・『大人読み』というタイトルに大きな含みがある。『大人』とは何かというテーマが本全体の背景にある。
・『あしたのジョー』&『巨人の星』のインタビューはいままでのインタビューにない深みがある。同じ事柄について関係者の見方がそれぞれ異なっていても、誰か一人に安易に『正解』を求めていない。創作状況を多角的に把握しようとする姿勢が成功している。
・1章で『大人読み』できた例は?

・博士論文「子供・戦争・漫画−大正末から昭和戦中期までの子供向け物語漫画の研究−」は現在1400枚ぐらい。
・手塚によって戦後マンガが始まったという神話があったが、戦前戦後の断絶がよりも幕末明治の断絶の方が大きい。

夏目
・問題点は大概書いた本人が一番痛感している。直す余裕がありませんでした。
・対外的にマンガについて説明する機会が多くなったことが『挑戦』のきっかけのひとつ。
・『マンガと戦争』は反映論を用いて書くことになった。
マンガと社会の関係を反映論に逃げずに論じるには表現論だけ不十分。 →『大人読み』に通じる?
・厳密な学問的な訓練を受けていない。うまく当てはまる学問的成果を援用してやってきたところがある。
・バルトに『作者の死』っていう言葉があるけど実は読んでません。フランス思想とかについても学問的な訓練はしていません。
・テクスト論については間違ってました。すいません。こういうときは素直に謝っちゃう。(会場・笑)
・受容論をできなかったのは力量がなかったから。
・80年代まではマンガが各メディアのコンテンツの貯水池になっていたが、現在では各メディアが並列になっている。

・『大人』というのは社会が決定するもの。親子関係とは異なる。マンガの青年化に立ち会っているし、『大人』とは何か?というテーマは以前からあった課題。東アジアではマンガが盛んだが、欧米ほど大人と子供の区分が強くない。何か関係あるか?
・作者の実感としては『大人読み』はできなかったと思う。1章で強いてあげれば『ねこぢる』。
・ドラゴンボールについては初出が集英社の媒体なので批判的なことが書けなかった。本当は終盤読んでいて辛くなる部分を論じるのが一番面白そうで、どこかの媒体で書きたかった。

・宮本さんの学問的な指摘は今までのマンガ論の水準ではできなかったもの。それをみなさんに示せればと思ってました。
・今年来年に出る予定のマンガ論の単行本が、伊藤剛さん・小田切博さん・ヤマダトモコさんなどいろいろある。そこでまたマンガ論の水準が上がると思います。
・マンガ研究は今後10年はまだ在野の方が水準が上だと思います。
・編集者論はやりたいと思ってます。

 こんなかんじでした。
 あと『ダ・ヴィンチ』が取材に来ていたそうです。

 夏目さんの出版記念のイベントですし、当然観客は夏目さんの読者の方が多かったと思いますが、僕には宮本さんのハリキリぶりが面白かったです。

 質疑応答の際に、隣の方が「何か質問しないの?」とおっしゃいましたが、終始シビレっぱしだったので根掘り葉掘り聞きたいことがありすぎて、要約すると、
「ゼミやりましょう。僕の卒論の指導教官になってください。」
というお願いになってしまうので我慢しました。

 じゃあ僕の感想というか考えたことを少しだけ。

 『挑戦』『大人読み』の2冊についての感想は読み込んでないのでまた今度。

 今回のトークショーは、マンガが歴史に、マンガ研究が学問になってゆくひとつの現場を垣間見たような気がしますが、マンガ研究における在野と官・学の区別ってどんなものなんでしょうか。

 発表した人から考えると、

 夏目さんは在野、宮本さんは学、というのは分かりやすいけど。
 竹熊健太郎さんが多摩美術大学非常任講師だったりするし…。
 川崎市民ミュージアム関係者って結構いるし…。
 マンガ学会の理事の人はどうなんでしょう?
 現在の所属・本業(収入源)というより経歴の問題なのかなぁ…。

 そんなに厳密に分けられるものでもないでしょうけど。

 マンガ論の発表された媒体(場)から考えると、

 商業誌とか学術誌とか同人誌とかあるけれども、マンガ論についての単行本が商業的に流通する市場がそれなりに成立したということはわりと重要な要素だと思います。(マンガ論の産業論?)その読者層はたぶん70年代以降に大学入学した世代で(分かりやすい例だと四方田犬彦さん米沢嘉博さん村上知彦さんが1953年生まれ)、原体験としていわゆるサブカルチャーの影響力を自明のものと捉えている人たちで、BSマンガ夜話の視聴者層といった感じでしょうか。

 また、僕の読んだ「学」側の論文の中から考えると、ともにマンガ論の歴史について論じた、
・瓜生吉則「〈マンガ論〉の系譜学」東京大学社会情報研究所紀要56号 1998年
・宮本大人「昭和50年代のマンガ批評、その仕事と場所」立命館大学言語文化研究13巻1号 2001年 
が重要であるように思います。(あくまで僕が読んだ論文の中での話ですよ)

 誰がどこでどんなマンガ論を展開したか、という内容を示すには、過去のマンガ論の成果を正確に参照してゆく学問的な蓄積によるアプローチが必要になります。もちろん論文の内容が一番重要なんですが、両氏の所属(当時)、年齢(世代)、発表された媒体が、僕にはどうも象徴的に感じられてしまいます。
(おそらく僕が瓜生・宮本両氏のファンだから)

 この両氏を『マンガの居場所』のパートナーに指名した時点では既に夏目さんはマンガ研究のアカデミズムの場における方向性を自覚しているようです。
 あたりまえか。

 なんだかマンガ論の世代論・受容論を、反映論の方法論で展開できそうな気がします。
(注意!この一文はギャグですよ)

(つづく?)

 …と思ったけどしばらくやめときます。

 ちゃんと本読んでからにします。
| マンガ論 | 06:18 | comments(1) | trackbacks(0) |
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| - | 06:18 | - | - |
 80年代までのマンガは、戦後、手塚治虫という一つの大きなくくりから拡散と浸透を繰り返しましたが、90年代以降は消費するために大量に生産され続け、「大人読み」と「マンガ学」の対象として各論に耐えるだけの作品の絶対数は総量の増加に反比例して少なくなるという状況が拡大しただけという気がしてなりません。
 
 現在もその流れは続いていると思いますが、結果、カオスの中から光る作品を探し出すだけでも大変な作業になってしまっています。これからマンガ論を推し進めていく人たちは、そこから始めなければならないのですね。
| SKRIPKA | 2004/11/02 2:49 AM |









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